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手乗りニワトリ
「ただ今!」                     

 息子がいつもより少し遅かったけど、元気に遊びから帰ってきた。彼は小学校二年生だ。手を洗い、うがいを素早く済ませると、食卓に置いてあったお菓子を食べながら、

「あのねー、今日ねー!」

と口早に話し始めた。今日は親の許しを得て少しのお小遣いをもち、友達のK君と近くの公園で開催されていた、縁日に行ってきたのだ。そこでちょっとした事件があったようだ。

「あのねー、そしたらねー!」

 少し興奮気味に説明してくれた。公園に行くといろいろなお店が出ていたこと。そのお店のひとつで、おじさんがヒヨコを売っていたということ。そして他の店を見ていたら、先程見たヒヨコが一匹だけチョコチョコと歩いていたのだそうだ。それを見た二人は思わず顔を合わせ、

「あのおじさんのヒヨコだ!」

 追いかけて捕まえたみたいだ。かなり大変だったようである。そして、締め付けないように、そっと手の中に入れ、おじさんのところへ返しに行ったという。

「なかなか、やるじゃないか」

 親馬鹿は感心する。

「それでどうした?」

 息子の話は佳境に入ってきた。

「そしたらねー、おじさんがねー」
「ウン、ウン」

 私も妻も身体を前に乗り出し、聞き耳を立てる。

「僕たちはいい子だから、そのヒヨコをあげるって」

 満足そうに、少し得意げになって話す。

「それでもらってきたのか?」
「うん、K君がね、家に持って帰った」
「そうか、いいことしたなあー」

 と、話はここで終わらない。

 その日の夕方に電話が鳴る。妻が出た。どうやらK君のようだ。息子に代わった。

「ヒヨコの報告かな?」

 やはりそうだった。

「あのサー、ヒヨコ元気?ウン、ウン」

 そのうち、口数が少なくなってきた。

「ウ〜ン」

 暫らく言葉が無くなってしまった。

(待てよ、何かあったな)

 鋭い親の勘(当たり前か)。息子がこちらを見ている。

「ちょっと待って!」

 受話器を置いて、息子が真剣な顔で説明を始めた。

K君は喜んでヒヨコを家に持って帰り家族に見せたそうだ。家族も当然喜ぶと思ったら、「かわいいね」とは言ってくれたけど、「飼うのはどうかなー?」だったんだって。そのうちにお父さんが帰ってきて、「飼うのはダメ!」ということになってしまったみたいだ。
 何故かって、K君の妹が猫を飼ったばかりなんだって。

「アラー、それはダメだね」

 それで我が家で飼ってくれないかということらしい。返したくてもヒヨコのおじさんはどこにいるのか分からないし、K君も困ってしまっているらしい。

 K君も息子も動物が大好きで仲良し。K君の家にも飼ったばかりの猫の外に、いろいろな動物いて、我が家にもネオンテトラやグッピーの小魚(妻担当で次々と子供を増やす)鈴虫、ざりがに(息子担当で年を越して子供を増やす)と、その二人の担当の私と、大変なのである。

我が家のような共同住宅では、やがてニワトリになるようなヒヨコを飼う事は許されないだろうと、息子も薄々分かっているようだ。

 ここで二人の担当者である私の登場だ。

「よし、家で飼ってあげよう、連れておいで。但し、自分で世話をするんだよ」

 この時私は格好つけて、言う順序を間違えたみたいだ。後の言葉はよく聞いていなかったようだ。

「やったー!」

電話口に出ると、

「家で飼ってもいいって!今すぐ行くね!」

電話を切ると一目散にK君の家まで走って行った。



 水と餌と糞の始末と、息子もよく面倒を見た。ヒヨコも住む家が決まって安心した様に、{ピヨピヨ}と鳴き{スヤスヤ}と眠り、我が家の一員となった。名前も付けた『ピーコ』だ。前に飼っていた文鳥の名前とおなじである。今はピーピー鳴いたって、大きくなったらコッコッコッなのに、と思ったけれど、黙っていた。何しろ担当は息子だから。

 時々休みで私が家に居る時は、部屋の中に放した。ピーコはよく家族に慣れ、私が芸事を教えると熟知した。

「ピーコおいで!」

と言って手を出すと、その上に飛び上がってきて止まった。手乗りニワトリ、ピーコの芸である。私が床に寝てビール腹をたたくと飛んできて止まった。思い切って口から餌を与えると、私を傷つけないように注意深く餌だけつまんだ。命令すると一瞬考えるようにして、首をかしげる。なかなか知的な態度だ。

 そうこうしているうちに、ピーコはピーピー鳴くのを卒業し、コッコッコッと鳴くようになってきた。歩き方もチョコマカからスーッスーッと格好良い。目をつむった時なんか、上のまぶたが薄いピンクで色っぽい。ウィンクしているみたいだ。

 ずっとヒヨコ屋のおじさんに言われていたように、メスだと思っていたピーコが、変わり始めた。トサカが出て来た。

「いや、ニワトリは大きくなれば、メスもトサカは出るよ。しかし小さいけどね。そのうち卵だって産むかも知れない」

 ところが、トサカはドンドン大きくなり、立派になって、ある朝、

《コケコッコー!》

と時を告げた。それからは毎朝立派に鳴くようになって、

「どこの家のニワトリかしら?」

と近所で噂されるように、有名なオンドリとなった。

 私の友達が遊びに来ると、手に乗ったり、腹に乗ったり、死んだまねをしたり、盛んに芸を披露して喝采を浴びた。


 そして一年も過ぎた頃、ふとベランダに出てみるとピーコが横になって動かない。

「ピーコ!ピーチャン!」

 死んでいた。

 調べてみると、水入れが横になって、一滴も水が無かった。ここのところ息子は友達と外で遊ぶのに忙しくて、ピーコの世話が少し手抜きになっていたようだ。

「この現実にどう対処しよう」

 ピーコの死をごまかしてもいけないし、無駄にしてもいけないと思った。動物が好きなのはいい。しかし何でも飼いたい、自分の手元に置いておきたいと思う気持ちを、さらに深く考えるチャンスだ。もちろん親も含めてである。親は子供にファーブルのような動物学者の姿を重ねる。自分が子供の頃、飼ってもらえなかった悲しさや、悔しさを子供に与えまいとする。そして心の広い、優しい親を演出する。しかし、それにも限度がある。

 色々と考えた結果、鳥かごを玄関に置いた。

「ただ今!」

 例によって元気に息子が帰ってきた。黙って気配を伺っていた。

 一瞬、「何事だ!」と思って鳥かごを覗いた息子は、固まる。

「ピーコ死んじゃったよ」

と妻が言うと、さらに玄関で靴も脱がずに固まってしまった。

「水の入れ物が倒れて、のどが乾いて死んじゃったみたいだな」
「・・・・・」
「水を替えてやったのは何日前だったんだ?」
「・・・・・・・」

 ここが大切だと、更に続ける。

  生き物を飼ってみることは良い事だ。(すぐ近くに好きな動物がい   るのはうれしい)

  良く観察すると、色々なことを教えてくれる。

  可愛いし、楽しくなるし、やさしくなる。

 しかし、飼うということは、大変な責任も負うことになる。

「かごの中に飼っていなければ、きっとピーコは水を飲みに行ったよな」

 息子は頭をうなだれて、一つ一つ頷きながら聞いている。 もういいだろう。

「ピーコを埋めてやろう」

かごから出し、くちばしから水をあげる。庭に出て、適当な場所に穴を掘る。ピーコを横たえて、好きだった食べ物も入れ、土をかける。線香を一人一本ずつ立て合掌する。私と妻が部屋に入った後、一人残った息子は、急に感極まったのか、

「ごめんね、 ごめんねピーコ」

「ごめんね」

といいながら、嗚咽を漏らし、しばらく、涙と鼻水でグチャグチャになりながら、盛り土の上からピーコをなぜていた。

それ以来、息子は動物を飼いたいとすぐ言わなくなった。ピーコは短い命だったが、私の家族に様々なことを教えてくれた。

おわり


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